告解

from takala

配偶者の自死

2017年12月12日

手術翌日。輪々華危篤。

心停止を確認後に傍から離れる。

輪々華には以前より伝えていた。配偶者の親族が娘を取りに来るだろう。死の淵の重篤な状態、又は死去となったらフランスへ行くと。

それでも暫く離れる事が出来なかった。姿を目と脳に焼き付けた。手に触れても体温がない様に感じた。恐ろしい程に真っ青で象牙か何かの様な、造り物めいた手だった。

 

涙が後から後から溢れ出て止まらない。

外は雪だった。積もってはいないが地を浄める様に降り注ぐ。輪々華についている神仏が降らせている。

娘を保育園に迎えに行く、無邪気について来る。また涙が流れ落ちて行く。それを見て娘も泣きじゃくるが、気丈についてくる。何も聞かない。感ずるものが娘にはあり聞かずとも、伝わっている。

車にトランクを積んでいた。若干の遅れはあるが飛行機は飛ぶ。

輪々華が体のない状態でずっと、近い所にいた。まだ逝っていないのは知っていた。死の淵だとこの様な事が出来るらしかった。

 

ならばこちらが死ぬまで、植物人間であれば良い。近くに感じられたなら形は問わない。

多額の金は投じてやる。医学が発達しているのならば、摂理に逆らってくれ。

 

普通は分からないだろうが、魂の状態での交渉がどれ程深いか。身体の繋りの比較ではない。身体は瞬間的な快感でしかない。それがあまりにも持続的な快楽であったので、途中からこのままで良いとすら思った。最初から殺めておけば苦しませずに、済んだ。自分も苦しまず済んだ。

娘には経済的な不自由は少なくとも一生、させる事はない。母親のいない辛さはあるが新たな母親との確執は、有り得ない。

配偶者は再婚する予定だと言った。そんな家庭に娘を置く訳にはいかない。配偶者の親族は掃除が苦手であるとも、知っている。娘はハウスダストにアレルギーがある。不潔な環境に置く訳にもいかない。

英才教育で医師に育てたがっている事も、知っていた。放っておいても国立医学部程度には、入るだろう。輪々華のDNAはさて置いて俺の子だ。

しかしこの娘の好きな道を歩ませたい。

 

海外の目新しい光景の中でも悲しみは決して、癒えない。時間だけが少しずつ衝撃を薄らげる。

日常はどうでも良かった、転職もどうでも。

娘の義務教育すらも。最低限学校には通わせる。だがどこも馬鹿ばかりである。馬鹿の集団は害悪でしかない。

幾つか将来に有利な習い事に集中させ、ボランティアや教会等で集団行動を学ばせる。

学習そのものは大学受験も指導出来る。

 

輪々華の入院中に短期集中で、一般的には莫大と言える利益を得ていた。投資でない博打の様なものだ。

海外で日本語教師でもやるか、又はピアノでものんびり教えるか。輪々華はそれが良いと言った。彼女の言葉は絶対だ。彼女の言葉になら従う気にもなる。

日本での人間関係ももうどうでも、良くなっていた。館の人間もだ。

しかし能生より入った連絡には、反応せざるを得なかった。

輪々華の配偶者の自死、未遂だが首吊り。

輪々華の危篤、娘の不在による絶望。

障害が出るだろう。舌打ちした。愚かな男だ。やるならもっと確実にやれ。こちらは半端な覚悟で縁を切っていない。こちらこそ死ぬ気でやっている。

全く女々しい事甚だしい。しかも社内でだ。椅子を蹴れば物音で人が来るだろう。ネクタイ程度なら切れもするだろう。

 

我々は直ぐに帰国した。

まさしく眠り姫状態だった輪々華が起きて最初にやった事は、病室の洗面室の鏡に化粧水の瓶を叩きつけ、破片で腕の動脈と腱を切る事だった。

輪々華は死ぬ積もりではなかった。自傷行為だ。自分のせいで配偶者がと思ったのだろう。或は寿命分けの応用、障害の肩代りか。

 

現在、輪々華は彼の介護をすると言っている。介護が出来る体ではない。サポートするべくは自分だが、これは避けられない。せねばならぬ事だろう。

娘の目には仲良く映る様だ。奇妙な三者関係。

輪々華はあまり言葉は遣わなくなった。歌うか触れるかで伝えて来る。

表情もなくなった。時々は頬笑む。以前より神々しくなってしまった。もはや本当に人間でない様に見える。

輪々華は配偶者に触れる事で癒している。

精神を癒している。

これからの風変わりな暮らしの中で、男女間の情愛等はとうに越えるだろう。現在既に身体の交わりはなくなったが、短絡的で刹那的な繋りでなく常に繋っている感覚がある。輪々華の傍にいる事だけが心地好い次元に辿り着けた。

非常に生きるのは楽になった。

今後はいつ死んでも良いと互いに思っている。