告解

from takala

聖書/洗礼

信仰が救いになる者もいるが、自分はそうではない。

信心が深い訳でもない。

気休めである。しかし気休めとは重要なもの。

彼女がこうなってからは時間の空白を感じた際に、聖書をひたすら読み込む。読破はこれ迄に何度もしているが読む度に何らかの発見があるから、これだけ永い間人々の支えになっているのだろう。

普遍の真理が救いになるとも今は全く思えない。

喪失すれば絶望。後はただ生きるしかない。

輪々華は洗礼を受けたいと言った。病床で聖書を少しずつ読んでいる。

聖書の世界をクラシック音楽で、表現したCDがある。これも聴いている。

彼女の耳にした音と手にした本で、生きて行けるだろうか。独りになったとしてその後。

 

受洗までは年月がかかる。神は待ってくれるだろう期待もある。期待はせぬ方が良いとも知っている。期待すれば絶望がある。

彼女が洗礼を受けたいと口にした事で即座に、連れて行くかも知れぬ。

 

自分は聖書を熟読してはいても信仰しているのは、イエスではない。

信じているのは自分自身と輪々華である。


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彼女の好んでいる聖書,クラシック。