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この様に書くと何と非道な人間かと思われるだろうが、敢えて記す。やや赤裸々に書く必要がある為、書き切ってしまいたい。
輪々華の元配偶者の行為については、全く動揺していない事はない。正直、神経を逆撫でされている。
何故死に切らなかった。
ここに至って迄邪魔者。
自死するおそれがあったのは寧ろ、彼女の側である。
彼女が如何に苦しんで来たか知っている。主に性生活に於てだ。
話はある程度だが聴いていた。彼女の元自宅前まで行けば、もう視える。幾つか遡って夜の映像が視える。時に鮮明に視える。
霊視何て代物は煩わしいだけだ。殺人犯の顔写真を見れば殺害現場が視える。普通に生きている人間が突如開眼すれば間違いなく、発狂は免れない。
はっきり言って辛かった。この上なく大切に思う存在が愛情の名の下に、破壊されて行く。その過程を眺める状態が数年。約8年。
何も手を打たず手をこまねいていた訳ではない。何度も救い出そうとしている。
その度に困惑される。“◇◇君(元配偶者)が好きだ”と言われる。“多嘉良は好き、だけど結婚する人ではない”と言われる。
暴力を愛情と、完全にはき違えている。“多嘉良も同じ事をするだろう”と見くびられる。しかし時折“一緒に居て”と懇願される。
どの意味で一緒に居れば良いのかが判らない。抱き付いては来る。それ以上は嫌だと言う。無理に近付けば取り敢えずは、脱力状態で受け容れてくれる。だがそれをすると暫く、怯えて距離を取られる。
しかし言葉では平気で“大好き”,“ずっと好き”,“ずっと一緒に居たい”等と言う。
元配偶者は長らく親友と呼べた人物であり、輪々華に危害を加えた時点で深く失望した。人間的には好きな部類だったのだが。
文章で明らかにして行く事は精神安定になる。つまりはやはり、動揺している。自死を目指した行為、一連の流れも視えている。
独り最期まで胸にしておけば良いのだが、足りなくなった。輪々華さえ隣に居れば良いと願ったが、馬鹿猫は元飼い主の面倒も見てくれと言う。
何でもするから、と確かに聞いた。では最期までは好きな様にさせて貰う。