告解

from takala

写真

写真を視れば死者の考えていた事はわかります。

死者が生者であった頃の思考、その写真が撮影された時の考えが最も視え易いと言えます。

 

輪々華の写真を撮っているのは思い出を残すとの意だけでなく、写真であればその瞬間に彼女の考えていた事が視える場合があるからです。

とはいえ輪々華は四六時中頭が空っぽですので、撮影が無駄骨である事もしばしば。

 

母親の写真を見せて貰いました。似ています。

娘である輪々華が視えにくいと言うだけあり、視えない人間です。意図的にも無意識にも壁を出している人間です。

占い師というよりは祈祷師、祈祷師というよりは霊能者。

死の選び方は潔いと思います。流石に化け猫の母猫です。

老夫婦が死期を同じくするというのは、割とよく聞きます。何日か何ヵ月か後に追いかける様に逝く、珍しくありません。

死は呼び合いますので、あるご老人が亡くなった後に近隣の高齢者が息を引き取る事が、度重なる現象も見られます。

しかし同日に時間を殆ど空けず、連れ合いを連れて行くというのは珍しい事です。

 

輪々華の母親に興味はありましたが、会っていません。会えば訊ねました。何故彼女を育児放棄したのか、責めたと思います。

百歩譲り育児放棄は兎も角も、性虐待の無視は一体どの様な了見であったのか、問い質したい思いです。同性であれば想像がつくであろう。ましてや霊視が可能な癖に。

到底理解出来ません。輪々華の言う所の「仙人状態」も呆けた振りでないのかと考えています。

彼女の様子ですが11日はほぼ泣き通しでした。翌日以降は時々泣くだけになりました。食事を摂らぬ状態には参りました。精神がやられると人間は、物を口にしなくなります。

ようやっとですが、野菜と豆腐を食わせています。

 

一点のみ彼女の母に感謝します。

輪々華をこの世に産んだ事には感謝します。