告解

from takala

一婦多夫

 読者諸君は岡本かの子をご存知でしょうか。太陽の塔で知られる芸術家・岡本太郎の母です。彼女は小説家であり、夫と愛人を一つ屋根の下に住まわせるという波瀾万丈な人生を送りました。

 輪華はそれと同等のスタイルであると思われます。かの子の夫・岡本一郎の人間愛を果たしてこの自分は真似出来るであろうか。

 一妻多夫でなく一婦としたのは、せめてもの反発又は願望です。或る夫(T)から見た輪華は妻です。しかし他の男に色目を行使するなら時に只の女です。或る夫ならぬ或る男(M)から見た輪華は、彼が妻と思い込みたいだけの単なる女ですから“婦”。彼女は巫女でなくいっそ只の女であって欲しい。それならば扱いは楽になります。

 同じ家には流石に住みません。娘の教育にも悪い、外聞が悪い、両親に顔向け出来ません。輪華が人間愛を発揮するのは勝手です。人間愛は許可します。異性愛は許可しません。面会は許可します。性行為は許可しません。

 充は輪華に先々会えないのならこの場で死ぬと言い、つぶさに視てもそれは本音でした。刃物を所持していました。何時から彼があの様に愚かになったのか最初会った15の頃から変わらず純朴であったのか今更どちらでも良いのだが、輪華を前に命を懸けて切切と念を語れるという事は、神を前にし語るに等しい。彼の存在が過去の輪華を生かしたのならば彼に感謝せねば、本来はならぬのだろう。

 神に資質を試されていると思いますが、さて実践可能か不可能か。