告解

from takala

憑依

 詩乃(仮名)について話す。
 大学時代に関係があった女、後にストーカー化したHP上のSの事だ。
 詩乃の自殺について知った後、教会では祈る事にした。教会に鎮魂の為だけに通っている訳ではないのだが、自宅では詩乃を想わない様にしている。輪華が居るのだから当然だ。
  記憶内では標本となっている。かつて捕らえてそのまま並べて飾っている蝶。男はこんなものだ。思い出は標本にする。
  それが詩乃の望みだったと言える。愛した男の記憶内で生きる事、祈りの対象となる事。
 
 4/26 冬の気温。雨の日。輪華の通院日。
 病院の駐車場で不意に彼女は呟いた。「高良を見ているのね」
 自宅ではない場所、結界等無い。詩乃の霊が居る。霊となってからも近くには来ない。こちらを見ている。輪華をも見ている。
  「ちゃんとお弔いをしなければ」輪華が言った。
  
  車には結界が在る。輪華は「どこでも良いからホテルに入ろう」と言った。いつも通りの唐突さだった。彼女の内面は読めない。誘いにしては無機質だと感じた。
  自宅付近にホテルは幾つも有る。手近な一つに入る。 
  個性の無い部屋で彼女は服を脱ぎながら「今日は調子が良いから気にしなくて良いよ」と言った。
 輪華がベッドに座った瞬間、室内の空気が変わった。 輪華の目つきが変わった。
  霊が居る。詩乃が。輪華の体に。輪華が降ろしたのだ、一瞬で。
 降霊術、口寄せ、憑依。名称は色々だが輪華がこれを行うのを見るのは初めてではない。
  これか。これが弔いか。輪華の考える事は分からない。
  詩乃が輪華の形代であった事。今度は輪華が詩乃の為に体を差し出す……
 
  だが詩乃は詩乃として呼ばれると男に抱かれる事は出来ない。どちらにしろ体は輪華であるのだから輪華として抱く以外に無い。輪華が妻なのだ。彼女以外を見る事は不可能だ。これでは弔いにならない。
  「高良君」と輪華、否、詩乃が呟いた。暫く話をしていなかった、発声をしていなかった者の戸惑いの第一声だった。輪華の声だが輪華が発しているのとは違う。人格交代とも、やはり違う。 霊に呼ばれた為か意に反して寒気がした。
 
  詩乃は詩乃で輪華を乗っ取る程の霊ではない。その気も無いだろう。詩乃は輪華の代わり。生前から納得していたのだから。
  性交についての納得だけであり、交際中の納得であったかは分からない。二番で良いとは聞いたが、代わりで良いとは聞いていない。輪華との再会以前は「思い出の一番は変えられない。二番で良い。その人(輪華)になりたい」と言い、再会以後はやはり「二番で良い」。
 
  輪華の体で輪華の表情をしていない女、詩乃の視線を見下ろしていた。思い出した。非常に酷な事をしていた事を。
 交わりの中に於いて他の女の名を呼び掛ける以上に、酷な事があろうか。有る。まだ有るのだ。
 詩乃は元々拒食気味ではあったが、輪華程には華奢ではなかった。だから何気無く言った。「彼女はもう少し細い体をしていた」「小さかった」「折れそうで怖いと思った事がある」
  詩乃を前に輪華しか見ていないと、口にしたも同然。生き別れと死は似ている。相手が生きていようが逢えなければ、それは相手の死にも等しい。当時の自分は何を見ても誰を見ても輪華の片鱗を探していた。そうする事で一瞬、甘やかな記憶に縋り付いた。そうしなければ生きられない程打ちのめされていた。あれだけの生命力を注いだ相手。恋愛という単語では括り切れない。死に近い異性を想念でこの世に繋ぎ止める役割だった。心身共に擦り切れたが、喩え様がない位に幸福だった。生まれた意味を悟ったと思った。それを一方的に絶ち切られ、拒否された。何を間違ったかも分からない。神からの否定、拒絶に近かった。
 
  詩乃は食事を極力しなくなった。減量中のボクサーの様であり、目的に向かって努力する姿勢だった。そうやって成績を上げ大学に入ったのだろう。自分の様に入り易い文系学部に理系からあっさりと鞍替えし、何もかも片手間でやっている人間とは違う。詩乃は真剣だった。
 痩せれば月経も無くなる。つまり避妊もしなくて良い。こちらは楽だった。幾ら若かったとは言え輪華に囚われていたとは言え、鬼畜の所業。大罪である。人体の変化、精神の変容が見たかった。もっと言えば観察していて愉しかったのだ。
  「詩乃」と呼び掛けた。膝まづいて爪先からゆっくり舐めて上げて行った。輪華にしている事を詩乃が感じ取れば良い。それが弔いになると輪華は思い、詩乃を降ろしたのだから。
 死者で在るからという訳でなく、詩乃で在るからだろうが何をしても反応が稀薄だった。対して自分は申し訳ないとは思うが輪華の体にしか反応していなかった。姿形、匂いや味が輪華なのだから仕方ない。中に入って居るのが詩乃であっても。これでは人形を抱いて悦んでいる充を嗤えない。弔いにはならない。
 詩乃を見た。不憫な事に詩乃はそれで満足している様子だった。最期迄、輪華の形代。最高に出来の良い形代として愛される事。詩乃にはそれしか無かったのだろう。
 死は彼女にとっての完成。その形代を使った自分の義務は記憶し続ける事、祈り続ける事。余りにも安過ぎる義務。
 霊体であり、仲立ちが輪華の体であっても詩乃は詩乃として抱かれる行為を拒否した。詩乃の名を呼ばれる事を拒否した。輪華だと思いながら詩乃が代わりになっている昔の状態を、再現せねばならなかった。奇怪至極に思われるだろうが、それを然程難しいと感じずに居た。詩乃の頑なさは、最期迄こちらを慮っていた。輪華に対する行為でなければ後々こちらが苦悩する事を知っている。苦悩させる、その位の復讐をしても良いだろうに。その位の復讐ならば自ら進んで受け取ったのだが。
 
 輪華は憑依を終えてから泣いていた。詩乃の心が分かると言った。高良だけを愛していて護ると、彼女は思っているのだと。輪華に言われると刺されたかの様な痛みがあった。痛みを覚えてはならないのだろうが。
 今更痛みを覚えるなら最初から、残酷な真似をしなければ良いのだ。
 夕刻に実家でピアノを弾いた。自宅では弾きたくない。輪華に聴かせたくない。自宅では詩乃について考えたくない。この記事は実家で書いた。自宅で発信前に読み返す作業は、あくまで事務的に行う。

  詩乃に対し彼女の為にピアノを奏でた事は只の一度も無かった。こんなにも手っ取り早い祈り、鎮魂であったというのに。
 輪華は我が事の様に泣くが、詩乃に対しこの自分は一滴も涙を流す事が出来ない。だから残酷な事が出来る。必要ならこれから先に於ても出来る。例えば輪華に死なれた場合、それでも生きねばならないのなら同じ事を更に念入りに行うだろう。形代に成れる女を見い出すだろう。男だからこの所業の理解に芯から至らないのだろうか。いつからこれ程に冷血になったのか、殆どの事柄は記憶していながら最早覚えていない。